2011年2月22日火曜日

海江田万里「70年代に訪中し、帰国後に夜学で中国語学んだ」

 海江田万里議員によると「中国とのかかわりは、生まれた時から」。名前がそもそも、「万里の長城」にちなむからだという。もちろん、中国文化や中国語の実力は、本人の努力のたまもの。それだけに、愛着がある。インタビューの場では、中国文化への思い入れを楽しそうに語った。「中国文化談義」は尽きそうにもない。

――中国とかかわるようになったのは、いつごろからですか。

海江田:生まれた時からと言ってもよいでしょう。私の父は新聞記者で、中国大陸や台湾にいたこともありました。そこで、「万里の長城のような雄大な人になれ」との願いを込めて、私の名をつけたそうです。

 その影響もあったのか、中学生の時から漢文が好きでした。慶応大学でも、英語、ドイツ語の他に第三外国語として中国語を選択しました。ただ、先生が亡くなったこともあり、挫折してしまいましたが。

 卒業後は、野末陳平議員の秘書になりました。もともと、東洋哲学が専門の人でしたからね、中国との縁が本格化した感じになりました。

 1973年には、日中友好議員連盟の秘書の訪中団に加わりました。廖承志さんや孫平化さんもお元気だった時分です。そんなきっかけもあり、夜学で中国語を学ぶことにしたのです。最初に日本人から中国語の発音を学習したので、今でも発音については褒められることがあります。中国語の発音は、最初は日本人に教わったほうが良いですね。

 議員になって、本格的に中国にかかわるようになりました。日中友好議員連盟の副会長や日中友好会館の理事も、務めることになりました。

――中国文化をよく知る人ということで、知りあった中国人も喜ぶのではありませんか。

海江田:たしかに、仲がよくなるきっかけになりますね。昔、水滸伝に出てくる英雄108人の名前を、どこまで言えるかという遊びをしたこともあります。楽しかったですよ。もっとも、今では無理です。とても思い出せない。

 中国に行くときには、可能であれば歴史上、有名な場所を訪れることにしています。三国志の赤壁の戦いを題材にした映画『レッドクリフ』がヒットしましたが、劉備が諸葛亮を招いた三顧の礼で有名な場所にも行ってきました。湖北省の武漢の近く、襄樊という場所です。もっとも、今あるのは撮影用に作られたもので、もちろん当時のものではありません。

 歴史上の中国人として、一番好きな人は、屈原ですかね。あくまでも筋を通したというところに、共感します。比較的新しい人では、彭徳懐が好きです。やはり、信念を貫いた人でした。

 漢詩を作ることも好きなのですが、今は忙しくて、なかなか手がつけられません。平仄を考えたりで、あれはかなり、時間がかかるのですよ。

 他にも、元曲や詞など、魅力ある作品はたくさんあります。屈原の楚辞も、もちろんすばらしい。ただ、日本人にとっては難しい。中国の古典文学をお勧めするとしたら、まずは唐詩で李白ということになりますかね。文句なしに中国文学の最高峰のひとつですし、絶句や律詩というように、形が整っているものは、日本人にも読みやすい。

――中国の古典文化となると、話が尽きませんね。

 ただねえ、最近は中国人でも、若い人は自国の文化をあまり知らなくなってしまいました。戦後、私費留学生として来日した第1期生には、とても話が合う人がいた。私と同年代の60代の人です。文化を語って、共感できる中国人は、だいたいそのくらいの年代。若い人には少ない。残念といえば、残念ですね。(編集担当:如月隼人 聞き手:有田直矢 サーチナ常務取締役 共同制作:人民網日本株式会社)

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引用元:Reign of Revolution 情報局

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